よるのひるねのブログ

介護福祉士のよるのひるねです。2025年に介護支援専門員の資格をとり、施設ケアマネをやっています。X(旧Twitter)やってます。

虐待防止は「職員教育」から始めていいのか ――ワンオペ夜勤という運営を問う

樹楽団らんの家の声明文

2026年8月14日、有信アクロス株式会社は、「弊社加盟施設における職員検挙事案について」と題する声明を発表した。

「樹楽」の加盟施設が運営する施設において、利用者に対する虐待が疑われる事案が発生し、職員が逮捕されたことについて、被害に遭った利用者と家族への謝罪を表明。そして、虐待防止、身体拘束の適正化、職員教育、施設運営体制等について改めて点検を行い、再発防止を徹底するとしている。

声明そのものについて、異論を挟むつもりはない。

虐待を防ぐために職員教育は必要だ。

しかし、私は一つの疑問を持っている。

「職員教育」の前に、そもそもその職員が働く環境や勤務体制は適切だったのか。

ここを問わずに「教育」を語ってしまってよいのだろうか。

私は、この事件が起きた「樹楽団らんの家朝霞本町」を運営していた株式会社エヌベーションの求人に応募したことがある。

その際、同法人の代表であるK氏と電話で面談をした。

そこで説明された夜勤勤務は、

17時30分から翌朝8時30分までのワンオペ。

つまり、夜間を一人で担当する勤務だった。

そして、もう一つ説明されたことがあった。

「休憩は180分」

というものだった。

私は、ここで疑問を持った。

一人しかいない夜勤者に、180分の「休憩」が設定されている。

しかし、その間に利用者に何かあったら誰が対応するのだろう。

一人で夜勤をしている以上、利用者の安全について責任を負うのは、その夜勤者であるはずだ。

 

呼ばれたら対応する。

何かあれば起きて対応する。

事故があれば対応する。

利用者の状態に変化があれば対応する。

それは本当に「休憩」と呼べるのだろうか。

 

厚生労働省も、休憩時間とは労働者が権利として労働から離れることが保障されている時間であり、使用者からいつ就労を求められるかわからない状態で待機する「手待ち時間」は休憩時間には含まれないとしている。夜勤中の仮眠についても、必要に応じて対応することが義務付けられている場合には、休憩ではなく労働時間となるとの考え方が示されている。

だから私は、有信アクロス株式会社のO氏に夜勤体制について質問した。

その際、メールで返ってきた回答は、

「手待ち時間は労働時間である」

というものを説明するだけの文章だった。

私は、その回答を読んで、さらに疑問を持った。

もし手待ち時間が労働時間であると認識しているのであれば、では、ワンオペ夜勤に設定されていた「180分の休憩」とは、一体何なのか。

そこで私は改めて問い合わせた。

その際に対応したのがK氏だった。

田村氏からは、

「その回答は完全に間違った運営かもしれないので、少々時間が欲しい」

という趣旨の回答を受けた。

ここで重要なのは、私自身がその施設で勤務したわけではないということだ。

私は求人への応募者として、法人から勤務条件の説明を受けた。

だからこそ、この一連のやり取りから考えざるを得ない。

今回の事件を、単純に「虐待を行った職員の教育不足」という問題だけにしてよいのだろうか。

 

「教育」は誰に対する教育なのか

介護現場で虐待が起きたとき、私たちはすぐに「職員教育が必要だ」と言う。

もちろん必要だ。

利用者の尊厳とは何か。
身体拘束とは何か。
虐待とは何か。
認知症の人への対応とは何か。
怒りや苛立ちをどうコントロールするのか。

職員が学ぶべきことは数多くある。

しかし、それだけでは十分ではない。

たとえば、夜間に一人しか職員がいない。

その職員が長時間、利用者の安全を一人で背負う。

休憩とされている時間にも、何かあれば対応しなければならない。

そんな勤務体制があるとしたら、そこで働く職員にかかる心理的負荷についても検証しなければならないのではないか。

もちろん、だから虐待が許されるという話ではない。

虐待は許されない。

どれほど過酷な勤務環境であっても、利用者に暴力を振るってよい理由にはならない。

しかし同時に、

「虐待をした本人が悪い。だから教育する」

だけで問題を終わらせてしまえば、同じような環境の中で、別の誰かが追い詰められる可能性を残してしまう。

虐待防止とは、職員の人格を正すことだけではない。

虐待が起きにくい職場をつくることでもある。

 

ワンオペという「構造」を問う

今回、埼玉新聞の報道では、逮捕容疑について、2026年6月24日午後7時半ごろから25日午前7時ごろまでの間、施設の利用者に対して顔面を殴打したり蹴ったりし、骨折などを負わせた疑いが報じられている。

この報道から少なくとも、事件が夜間の時間帯に発生したことは読み取れる。

では、その時間帯、施設には何人の職員がいたのか。

誰が利用者を見守っていたのか。

職員は一人だったのか。

休憩時間は実際にどのように取得されていたのか。

夜間に職員が利用者から離れることができる体制だったのか。

緊急時に応援を呼べる仕組みはあったのか。

そして、その勤務体制について、法人やフランチャイズ本部はどこまで把握していたのか。

こうしたことを検証する必要がある。

仮にワンオペという勤務体制そのものが、職員の精神的・身体的負担を大きくしていたのであれば、その負担が事件にどのような影響を及ぼした可能性があるのかについても、検証対象にすべきだろう。

これは、逮捕された職員を擁護する話ではない。

むしろ逆だ。

二度と同じことを起こさないために、個人だけではなく構造を見る必要があるという話である。

 

フランチャイズ本部は「加盟店の問題」で終わらせられるのか

今回の声明には、

「当該施設だけの問題として終わらせることなく」

という趣旨が書かれている。

これは非常に重要な言葉だと思う。

であるならば、虐待防止や職員教育だけではなく、施設運営体制そのものを検証してほしい。

どのような人員配置で運営していたのか。

夜勤を一人で担わせる場合、その根拠は何だったのか。

休憩時間をどのように設定していたのか。

その休憩中、職員は利用者対応から完全に離れることができたのか。

夜間の緊急時には誰が応援に入るのか。

職員が「一人では無理だ」と感じたとき、誰に相談できるのか。

そして、その勤務体制をフランチャイズ本部は把握していたのか。

これらを明らかにすることこそ、再発防止ではないだろうか。

 

「正しい運営」の上に教育がある

私は介護現場において、教育を軽視してはいけないと思っている。

しかし、教育には順番があると思う。

まず、法令を守る。

適切な人員配置を考える。

労働時間と休憩時間を適切に管理する。

職員が無理なく相談できる仕組みをつくる。

一人に過度な責任を背負わせない。

そのうえで、虐待防止について教育する。

つまり、

「正しい運営」の上に「職員教育」がある。

運営そのものに問題があるかもしれないのに、職員にだけ「正しい介護をしなさい」と教育しても、それは十分な再発防止策にはならない。

介護職員も人間である。

疲れる。
眠くなる。
不安になる。
孤独になる。
追い詰められることもある。

だからこそ、利用者の尊厳を守るためには、職員の働く環境もまた守られなければならない。

 

問いたいのは「誰が悪いのか」だけではない

今回の事件について、もちろん最も重要なのは被害を受けた利用者の存在である。

被害を受けた方と家族がどれほどの苦痛を受けたのか。

そこを忘れてはいけない。

そのうえで私は、もう一つの問いを投げかけたい。

この事件は、本当に「一人の職員が虐待をした事件」だけなのだろうか。

もし、その背景に不適切な勤務体制が存在していたのなら。

もし、ワンオペという運営方法が常態化していたのなら。

もし、「休憩180分」という勤務条件そのものに疑問が生じるような運営が行われていたのなら。

もし、そのような運営についてフランチャイズ本部も十分に把握していなかったのなら。

私たちは「職員教育」という言葉だけで、この問題を終わらせてはいけない。

必要なのは、

「なぜその職員が虐待をしたのか」だけではなく、
「なぜそのような勤務体制が存在していたのか」
「なぜその勤務体制が適切だと判断されたのか」
「誰がそれを確認していたのか」

を問い直すことだと思う。

虐待防止とは、職員を教育することだけではない。

虐待が起きる可能性を高める構造を見つけ、それを取り除くことだ。

だから私は、有信アクロス株式会社の声明にある「職員教育」という言葉の前に、もう一つの言葉を置いてほしいと思う。

「運営体制の検証」

そして何より、

法令に適合した、無理のない、利用者と職員の双方を守る介護現場をつくること。

そこから始めなければ、「再発防止」という言葉は、また掛け声だけになってしまうのではないだろうか。

日記

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20260724
家の真裏の印刷所が火事を起こしてくれて、我が家も例外なく大破損。保険とか現場検証のため休み。
印刷所の名前は勝美印刷所。2022年にも火事を起こしている常習犯の法人のひとつだ。
本社から来た人らはタバコを吸うものはこの工場にはいないなどと私に宣言してきたが、こちらは朝からタバコを吸っている従業員を目撃しているし、なんなら出火元である場所でもタバコを吸っているのを目撃もしている。そしてそのタバコを吸っている従業員へも声かけして確認済みである。
薄っぺらい言葉を投げかけ、こちらを安心させようとしていたのだろうが、ふざけているとしか思えない。少し指摘しただけで訂正し謝罪するようなら、はじめから会いに来ることなんてするな。
防火管理者の大平・・・今日休みをとったことに関しては給与は補填するような話をしてきた輩。また自宅に住めない場合、ホテルを用意するとのことだった。こう言うことも考えなしに自身で発言したにも関わらず、本日そのことを指摘したら、検討中などとお茶を濁し出す。意味が本当にわからない。
そしてとりあえず。歩きタバコをしている奴。喫煙所でない場所でタバコを吸っている奴。今日より敵に認定。

 

20260726
息子と相模原の津久井やまゆり園に献花をしに。事件が起きてから10年。初めて訪れた。その後、偲ぶ会に参加。相模原殺傷事件は、支援する人間として考え続けなければならないことの一つだと思う。「こんな夜更けにバナナかよ」の渡辺一史氏の話も聞けてとても学びになる一日だった。
今日のことはまた別の原稿でお披露目することとする。

 

20260727
森田胡桃子氏の「ケアの記録」の1を読む。この勢いで2と3も読んでしまおう。

 

20260730
終日。午前中は保険会社とやりとり。午後は不動産屋と工務店とやりとり。それから消防署に行って、り災証明書をもらいに行ってきた。

 

20260803
8月になった。今月は残業が多くなりそうだ。明日は休みのはずだった。でも出勤。理由は施設のドライバーが1日で辞めてしまったため。。。

 

20260806
7時から22時まで働いた。きつかった。
昔の同僚からメール。無色から無職になったと報告。何者かになりたいのだろう。コツコツそれは目標をつくって進んでいくしかないのでは。

 

20260810
昨日に引き続き今日も休み。ではあるが、子どもの自由研究と読書感想文で一日が終わる。明日は早番。

 

20260812
やっと明日は休み。

 

20260813
休み。一日中息子の夏休みの宿題を手伝っていた。
X。所々で文章がしっかり読めないものが変な噛みつきをしてくる。何も語らずブロックするのが良いと思った。学びのある批判なら歓迎するが言ってもいないことを勝手に断言して怒り出す者を説得するためにやっているわけでもないし。

 

20260814
コンテスト用のエッセイを書いた。もう少し推敲して出す予定。公募ガイドをもう少しこまめに読み、今年は何本か出せたらと思う。あと雑誌を作りたい。

 

20260815
雑誌を作りたい。

 

20260816
風邪をひいたみたいだ。。。身体の節々が痛い。
雑誌の企画書を作った。雑誌名は『ケア評論』。どうだろう。

日記

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20260705
やっと明日休みだ。
でもやることがいろいろあって遊びに行くことはできないかもな。
近所で写真撮影しようと思っている。

 

20260707
七夕。今日から施設でブログというかネットでの発信をやることとなった。
あと神奈川・多摩市のデイサービスで利用者をお客様と介護保険法に置いては完全に間違った運用をしている法人へのクレームのために行政へ質問状を出した。

 

20260709
下北沢の日月という日記専門店に行ってきた。そこでは紙があればすぐに日記に変身させてしまうハンコと森田胡桃子氏の「ケアの日記」の2巻と3巻を購入した。久しぶりに良い買い物をした。
下北沢は20年ぶりくらいに訪れたと思う。今はどこであろうと買い物という視点ではどこででも手に入るし、場合によってはネットで事足りてしまう。
ただ日月周囲のお店は思った以上に居心地が良かった。あと交通の便に関しても思った以上に大変ではなかったことが幸いした。月に一度くらいは訪れたい町の一つになりそうだ。
Xで利用者をお客様と呼んでいることについて行政へ連絡している書き込み。
行動力あるな。私も負けずと行動しよう。まずはメールで突撃だ。

 

20260712
やっと明日休み。「書くなる我ら」1~3巻を読んだ。ジュンク堂で3巻をたまたま見つけたが1巻は在庫切れだということでブックオフでネット注文。Amazonでも新刊は在庫切れという状態だったので。
文章を書くものは読めと言いたい。それくらい文章を書くことに真摯に向かう熱いものが感じ取れる漫画だった。

 

20260713
日暮里のサイゼリアで爆食い。と言ってもピザと小エビのサラダ、パスタを食ったくらい。その後、家で原稿を書いていた。

 

20260717
久しぶりの日記。最近はSNSで利用者をお客様と呼称する輩が本当に多いと感じる。お客様だから丁寧に扱うとか、もう介護保険の理念も何も理解できないのかと思う。権利主体だから尊重すべきだということをまずは知るべきだと思う。
医者の佐々木淳氏もXで発言していた、「株式会社に医療は無理なのか。優先順位が、患者にとっての最適ではなく、売り上げの最大化になってしまう。」という文面。
なかなか的を射ている。

 

20260719
休み。
子どもたちの作文教室に一緒に参加。娘の文章力のなさがものすごくヤバイと感じた。あと漢字の知識のなさに関しても。勉強なんてやればやっただけ結果が出るものなのになぜやれないのだろう。結局痛い目に遭うのは自分自身なのだと言うことに気づいたときには遅いのに。可能性はたくさんあるのに自分でその可能性を摘むのはなぜなのだろう。


20260720
今日も休み。娘の学校説明会後に北千住にて古本屋(alnwick books)に行ったり、デビルカレーなるところで昼食。古本屋ではオリジナルの布カバンと柄谷行人の文庫を購入。カレーはインドカレーを食す。娘はチキンカレー。とても好きな味。新宿のモンスナックのようなシャバシャバのカレー。ご飯にまとわりつく感じが良い。ビールもうまかった。通ってしまいそうだ。ただ店内が暑いのが難。

「利用者をお客様と呼ぶのが当たり前」という人に、一つだけ知っておいてほしい歴史があります。

介護の世界では、「お客様」という言葉を耳にすることがあります。

「利用者様より、お客様のほうが丁寧だから。」
「介護保険は契約だから、お客様でいい。」

そんな安易すぎる説明を受けることも少なくありません。

しかし、私はその言葉を聞き違和感をずっと持っていました。

そしてその答えをXでさとうとイシュタルxさんに教えていただきました。

それがコムスンです。

 

「お客様」という言葉は、どこから広まったのか

 

2000年に介護保険制度が始まりました。

措置制度から契約制度へ。

利用者がサービスを選ぶ仕組みになり、「利用者本位」という考え方が強調されました。

その流れの中で、コムスンは利用者を「お客様」と呼び、「介護は福祉からサービスへ」という考え方を積極的に発信しました。

「お客様」という呼称は、単なる敬語ではありませんでした。

利用者を顧客として捉え、介護を市場で提供されるサービスとして位置付ける企業理念の象徴でもあったのです。

もちろん、契約制度そのものが悪いと言いたいわけではありません。

しかし、「利用者をお客様と呼ぶ」という文化が、どのような思想の中で広まったのかは知っておくべきだと思います。

 

「お客様」は、単なる言葉ではない

最近、ある介護事業者の発信で、このようなコメントを目にしました。

「サービスを選ぶ主体という意味では、顧客や消費者という捉え方も一つの考え方だと思います。」

私は、この一文に驚きました。

つまり、この法人は利用者を「顧客」「消費者」として捉えることを、一つの価値観として認めているということです。

これは決して「お客様」という敬称を使っているだけではありません。

利用者を市場における顧客として位置付ける考え方そのものです。

そして、この発想は、かつてコムスンが打ち出した価値観と重なります。

 

言葉には歴史がある

 

今、「お客様」と呼んでいる介護職の多くは、コムスンの時代を知らないかもしれません。

「丁寧だから。」

それだけの理由で使っている人も多いでしょう。

しかし、言葉には歴史があります。

その言葉が、いつ、誰によって、どんな理念のもとに使われ始めたのか。

そこまで知って初めて、「自分はこの言葉を使うのか、使わないのか」を考えることができます。

 

私は「利用者」という言葉を使い続けたい

 

介護保険制度も、老人福祉法も、「利用者」という言葉を用いています。

私は、その呼称には理由があると考えています。

利用者は、サービスを買うだけの消費者ではありません。

何度も私は言っていますが、生活を支える制度を利用する主体であり、一人の生活者です。

だから私は、「お客様」という呼称に違和感があります。

それは敬語として違和感があるからではありません。

その言葉の背後にある、「利用者を顧客・消費者として捉える思想」に違和感があるのです。

 

歴史を知らずに言葉だけを受け継いでいないだろうか

 

介護の歴史を振り返ると、「お客様」という言葉は、決して中立な言葉ではありません。

それは、市場原理を前面に押し出した時代とともに広まった言葉でもあります。

もちろん、現在「お客様」と呼ぶすべての事業者が、コムスンと同じ経営姿勢だと言うつもりはありません。

というより歴史を知らないから使えるただの無知で無責任な事業者というのが事実でしょう。

しかし、その呼称がどのような歴史を持ち、どのような思想と結び付いてきたのかを知らずに使っている大半の事業者に、私は危うさを感じます。

介護は、本当に「顧客」と「事業者」の関係だけで語れるものなのでしょうか。

「利用者をお客様と呼ぶのが当たり前」という人に、私が知っておいてほしいのは、その言葉の歴史です。

言葉は理念を映します。

だからこそ、私は「利用者」という言葉を大切にしたいと思っています。

家族の絶望に、私たちは気づけただろうか

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「将来を悲観して殺そうと思った。」

群馬県で起きた、高齢の母親を介護施設から連れ出し、長女が殺害しようとしたとされる事件。報道によれば、「母親の将来を悲観して殺そうと思った」と供述しているといいます。

もちろん、現時点では事件の全容は分かりません。家族がどのような状況にあり、どのような支援を受けていたのかも明らかではありません。だから、「介護施設が防げたはずだ」と断定することはできません。

それでも、この事件を介護職として他人事にはできないと思いました。

介護の現場では、「利用者をどう支えるか」が語られることは多くあります。しかし、本当に追い詰められているのは、その利用者を支え続けている家族なのかもしれません。

私は以前、ショートステイの現場で「大変な利用者はあまり入れないでほしい」という声を聞いたことがあります。

その気持ちは分かります。現場は人手不足で、認知症への対応や夜間の介助など、職員が疲弊しているのは紛れもない事実です。その苦しさを否定するつもりはありません。

しかし、一方で立ち止まって考えたいことがあります。

ショートステイは、利用者を預かるサービスであると同時に、在宅介護において家族を支えるサービス(レスパイト)でもあります。

本当に介護で追い詰められている家族ほど、「大変な人」と言われてしまう利用者を支えています。

もし「大変な人だから受け入れない」という発想が広がれば、その家族はどこで休めばいいのでしょうか。

誰に「もう限界です」と言えばいいのでしょうか。

介護職は利用者だけを支える仕事ではありません。

家族は疲弊していないか。

「大丈夫です」と言いながら、本当は限界ではないか。

将来に絶望し、「もう生きていけない」と思い詰めてはいないか。

そうした小さなSOSに気づこうとする姿勢も、私たちの大切な役割ではないでしょうか。

私は、「ケアする人をケアする」という言葉を、安易なスローガンとして使いたくない者です。

それは「介護職を大切にしよう」という話でも、「感謝されよう」という話でもありません。

介護を担う家族も、専門職も、人間らしい生活を送り、休み、弱音を吐き、「助けて」と言える社会をつくること。

そのことを本気で考えるという意味だと思っています。

 

もちろん、介護職だけで今回のような事件を防げるわけではありません。制度にも限界があります。私たちにも限界があります。

それでも、「家族も支援の対象である」という視点を持ち続けることには意味があるはずです。

この事件は、「なぜ家族がここまで追い詰められたのか」という問いであると同時に、「介護サービスは家族の絶望に気づける存在であり続けられるのか」という問いでもあるのだと思います。

そして、私はこの一文を自分自身にも問い続けたい。

「『大変な人は受け入れない』という言葉の先に、誰にも助けを求められなくなった家族がいるかもしれない。その想像力を、介護の現場から失ってはいけない。」

この事件を、遠い場所で起きた悲しいニュースとして消費するのではなく、介護に関わる者として、自分自身の仕事の問題として考え続けたいと思います。

日記

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20260609
休み。午前中と午後にジム。計5km走った。
今日から『ケアを学ぶ人のために』を読み始めている。
今週中には読み終わりたい。

20260612
明日は社会福祉士のスクーリング。どんな出会いがあるか楽しみだ。

20260613
本日は社会福祉士のスクーリング。社会福祉士の倫理綱領について集中的に学んだ。町田の訪問看護(でも社長は理学療法士)の不適切な動画についてやはり確信が持てた内容だった。町田村の村長とやらは、自分たちの行動規範であるはずの理学療法士の倫理綱領を無視した行動をしている時点で、もはや専門職ではないということ。これだけは断言できる。
一緒に学んだ人たちにいろいろな経歴・職種がいて刺激をもらえた。孤独な施設ケアマネだけれど、一緒に学ぶということを実践できることは素直に嬉しい。

20260617
村田沙耶香『コンビニ人間』を久しぶりに再読。

20260618
お休み。茶話本舗の藤田英明氏のXにおいて、私からしたらソーシャルワークを侮蔑しているかのように読み取れるつぶやきにいらだった。とりあえず反論のようなものを出した。X上で彼のつぶやきをリプライとか賞賛している様子をみると、彼の過去にやったことを知らない輩が増えたと感じる。歴史を学ばないとまた同じ過ちを繰り返すと思う。福祉のフランチャイズビジネス(公金チューチュー)という業態はリスクしかないということになぜ気づかないのだろう。

20260619
今日もお休み。Xは課金をしたので、毎日140字以上の文章を上げるようにしている。自分の考えを文章化させることで頭のモヤモヤそのものの正体が具体的にわかるような気がしてきている。
昨日今日と一度も堀切菖蒲園から出ず、午前と午後にジムで汗を流すことと、料理のための買い出ししかしていない。スマホはtiktokの閲覧に薬物依存のように時間をとられていたのでアプリそのものを削除。そのためジムでの動画を見るくらいになってしまった。あとは読書に当てている。
Xでは藤田英明氏がAiを使って私への回答なのか無害な文章を垂れ流していた。
なんか単発アプリについて書いたものがすげー読まれている。それだけ単発アプリを使用している方々はモヤモヤしているのかもしれない。

20260621
休み。GRが帰ってきたので嬉しい。今日は渋谷周辺の散歩をした。GR space tokyoに来訪してGRのケースを購入。あとはストラップが欲しいな。こちらはAmazonにて購入予定。
Xでいいねが2000以上付いた。なんか自分の文章じゃないみたいな感じ。

20260623
オープニング時にいた同僚が事故で退職していたのだが、今年の4月から同法人の他施設で生活相談員として就業していることを知った。すぐメールを送って、30分以上話をして近況報告とかこれからのこととか話した。
当時、退職した理由が介護業務に就くことができないような悲惨な事故だった。それで生活相談員としてまた一緒に(法人の仲間という意味)働けるのは素直に嬉しい。
僕は今の施設では同期がもう3人しかいない。それが悲しい状況だったので。

20260626
今日から4連休。カメラ遊び楽しい。

20260628
ジムで6km。隅田川テラスで4km。走るのは楽しい。

20260629
連休最終日。走りまくったお休みだった。
後藤輝樹が亡くなった。エンタメの政治家ではなく、政治のエンタメ化を目指したひとりだと思っている。
我が葛飾区でも選挙に何度も出られていた。ゴミ拾いなどの草の根運動をマジメにしていた人という印象。私よりも若い。そんな方が自殺か(Xみましたがそういう文脈でしか読めない)。悲しい。
毎日最低3km歩く(走る)。腹筋50回。あと腕を鍛えるやつ20回。今月は体重2kg減った。

日記

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20260527
虐待委員会で自分たちのやっているケアに対して、一度「不適切なケア」か「適切なケア」かを考えて欲しいと伝えると逆ギレ。
私たちは少ない人数で回しているんだとか、時間のかかる介護はできないだと。
全部自己都合じゃないか。それも介護福祉士持ちのユニットリーダーの発言。悲しくなる。
そこに気づかないなら退職してもらっても良いと施設長は述べている。
ちなみに不適切な介護かもしれないと認定したのは、立位不可能な利用者の入浴。立位が不可能なため、車椅子に移乗する際にオムツを仮止め。ズボンは太ももまで。そのままタオルをかけて居室へ移動。そして居室ベッドでオムツを改めて装着、ズボンをはかせる。二人でやって利用者の尊厳を損なわない介助ができるなら大いに結構。でも下衣をしっかり履かせずタオルを巻いだけの移動は心理的虐待以外の何物でもない。それをみた家族の気持ちを想像さえできない職員へなにを伝えれば良いのかわからない。
これをただ不適切な介護だから改めて考えて欲しいと伝えただけです。

 

20260528
Xのつぶやきがバズった。カンファレンスで利用者の介助が重くて大変だから食事を半量にして欲しいというユニットリーダーの発言に対して反論というかダメだといった内容のもの。医療的視点でも食事制限をする必要は一切なし。完全に介護を楽にするための意見。この感覚が言える人のそばではできれば一緒に働きたくない。
もう介護ではなく管理。
夕方、高齢者支援課へ自分のケアマネとしての対応が正しかったのかの確認。
ユニットへ「自分たちの介護そのものが適切か不適切かを確認してください」ではなく「不適切な介護そのものをしっかり指摘し改善させる」ほうが良かったのではないかと考えてしまったため。結果としてはユニット側はお門違いな文句を言いながらもケアの方法を変えたためセーフ。
そのままブログを書いた。明日アップできるかな。

 

20260529
私の文章がAiが作ったものかもというつぶやきにニンマリ。
Ai程度の文章力は
それだけしっかり整然とできているように思われたのかな。静かに淡々と書いているようにするのが今の私の目標。でも最低でも3回は読み返したり書き直したりしている。

 

20260530
明日からジムに通う。ジムそのものは20年ぶりくらいか。どれくらい痩せるだろう。

 

20260601
昨日購入した「適切なケアマネジメント手法の生かし方」(中央法規)がとても勉強になる。電車で読み込んでいる。
シモーヌヴェイユの「工場日記」の感想をXで書いたけど、介護そのものをこなすだけの人たちは、思考するという場所からほど遠い。単発バイトのような利用者を尊厳を持った人々として接しなくても成立してしまうようなもの。それは自分が考える本来の介護、すなわち「利用者の日々の細やかな様子に機敏に気づき、その時々で最適解を考えながら行動する。極めて能動的で人間的な営み」とは全く違うものだ。
数人であったが反響もあって嬉しかった。福祉は考えることから離れていくのだろうか。
帰宅後。ジムにて3km走った。明日は休みだ。

 

20260602
ジムにて朝は5km。夜は3km。特養ケアマネということとケアマネ殺傷事件についてXで呟いたらたくさんのいいねがついた。なんかびっくりだ。

 

20260603
忙しかった。台風のせいで職員休み。そのためユニットヘルプやら。実調やら。そんでもってカンファレンス。そして夕方救急搬送があったため救急車に乗って病院へ向かった。
Xはコツコツいいねが押されてる。僕はどこへ向かっているのだろう。

 

20260606
Xでは連日長文の呟きを投稿するようにしている。ニュースのような思想のような、ブログよりは少し短いものを。
噛みつかれるのはかまわないけれど、文章が読めない人間への反応は文章をしっかり読んでくださいとしか返信できないよ。あとから変な言い訳とかしてくるけど、そもそも文章を読み解くことができない人の問題を私に押しつけてこないで欲しいかな。今後はかまわずブロックしようと考えている。

 

20260608
帰りがけに池袋ジュンク堂。特に目新しいものはなかった。それよりは昨日最終日だった日暮里HAGISOの「小さな声、小さな本展」で手に入れたZINEが面白い。「本を作ることについて話そう?」と「耕す日々、小さな種を埋めてみる」の2冊。会場には日記ものが多くあったが、まあ最近の流行の流れではあるがBGM感覚というのかな。気づきはあるけれど、乱読することは自分の中にはない。それだったら島田雅彦の「ミイラになるまで」でよいわ。帰宅後、ジム。今日から腹筋30回も追加することにした。